60歳を超えたパートナーと「肩書」の落とし穴

日記

「オレは割り切って働けるから大丈夫!」 再雇用を前に、そんな風に笑っていたパートナー。でも、実際に60歳の坂を越えてみると、そこには想像以上に切ない現実が待っていました。「カッコイイ肩書き」がなくなった日

長年、名刺の真ん中にあった誇らしい役職名。それがなくなった瞬間、自分の居場所まであやふやになったような感覚に陥るようです。

  • 給料は下がるのに仕事内容は同じ
  • かつての部下が、今日からは上司

口では「気にしてない」と言いつつも、どこか元気がなくなっていくパートナーの背中を見て、私は「あぁ、肩書きって単なる名前以上の『心の支え』だったんだな」と痛感しました。

抗えないカラダの変化と、トイレでの苦笑い

さらに追い打ちをかけるのが、ふとした瞬間の衰えです。

  • PCの画面にピントが合うまで、ほんの数秒かかる。
  • 若い頃のような「無敵の効率」が出せない自分への焦り。
  • 近くなったトイレで、同じように再雇用で頑張る顔なじみと何度もすれ違う気まずさ。

そんな小さな「虚しさ」が積み重なって、心に少しずつ影を落としていくんですよね。


肩書きがない私だから言えること

実は私、肩書きのない勤め人として40年近く働いてきました。だからこそ、肩書きに執着しない気楽さも知っています。

でも、組織の中で頼られ、自分の存在意義を「役職」で確認してきた人にとって、それを手放すのは、服を脱いで裸で戦場に立つような不安があるのかもしれません。

頑張りすぎない「セカンドライフ」の形

元気がなくなってしまったパートナーに、私はこう提案しました。

「いつでも仕事は辞めていいよ。でも、外に出ている方が健康でいられるのも事実。これからは、お互いの楽しい時間を作るための『新しい働き方』を探してみよう。」

結果、彼は転職という道を選びました。 かつての栄光や肩書きに縛られる場所を離れ、新しい環境でリセットすること。それも、アラ還からの賢い選択肢のひとつです。


最後に:アラ還世代の皆さんへ

60歳は終わりではなく、「第2の人生」のスタートライン。 カッコイイ肩書きはなくても、私たちはこれまでの経験という「目に見えない財産」をたくさん持っています。

これからは、肩書きのためではなく「自分の心地よさ」のために働いてみませんか? ゆるく、楽しく。明日も素敵な一日になりますように!

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